瞑想とあそぼ。

楽しく人生を過ごすために、瞑想始めてみました。

しんどいときこそ、瞑想して研ぎ澄まそう〜!

心の弱さはおそれ

 こんにちは、まめたろうです。今日は、瞑想日記です。しんどくなったときこそ、目を瞑れ!です!

 

 テッドが好きでよく見ているのですが(くまじゃないほう)いい話がありました。

www.ted.com

 2010年くらいのもので古いですが、人気のプレゼンの1つです。テーマは、「心の脆さの強さ」です。

 20分程度と長めですが、どんどん引き込まれていき、時間が経つのを忘れます。プレゼンとはこんなに面白くできるのかと思います。テーマもすごく納得が行くものでした。新たな発見というよりは、みんなが潜在的に思っていることがバシッと言われるような感じでした。少なくともまめたろうには。

 一言で言えば「心の脆さを受け入れて生きていくことがいちばんいいよっ」というものです。なんだそんなことだけかと思うかもしれませんが、実際の話を聞くと本当に心からそう思います。

 プレゼン者は、何千人もの聞き取りを実施し、自分の人生に満足している人にはある特徴があることが気がつきました。

 それは、自分に価値があると思っているということでした。人間は社会的な生き物で社会の中の関係性と切り離して生きていくことができません。自分に価値があると肯定感がある人は、その社会との関係性が良好であり、他人にも親切にできるということでした。自分に価値があると考える人は自分を大切にできます。自分を大切にできる人が、本当に他人に対しても親切にできます。 

 逆に、自分に価値がないと思っている人は、関係性の喪失への怯えがその根底にありました。

 しかし、まめたろうは、自分に価値があるという心持ちとは具体的には何を意味しているのだろうと思って見ていました。それは、「自分の心が弱いことを受け入れている」という意味だということでした。、、、「にんげんだもの」の世界観を彷彿としました。

 

瞑想は一つの力になってるんだろうな

 まめたろうは、このブログでは自分の瞑想体験で考えることを書くので、また瞑想と結びつけてしまうのですが笑

やはりこの点に対しても、瞑想の力はすごいと思います。自己肯定感が低い人ほど瞑想は効果があるのではないかと思うくらいです。人間の行動とか思考パターンって、一回癖がついてしまうと相当な勢いで転がっていくものじゃないですか。だから止めて違うパターンに行くのはとてもエネルギーがいるし、人によっては不可能だとすら感じてしまう。

 でも、日々の思考に支配されず、空白の時間を持ってみると、全部幻想なんだなと気がつく瞬間があります。まめたろうもそういう経験があります。しかし、だからといって現実はすぐには変わりませんし、考え方もすぐには変わらないと思います。そんなもんです。ただ、そこで瞑想を止めてしまってはもったいないと思います。まめたろうは今その段階かなと思います。

 このプレゼンのブラウン博士は、「心の脆さを受け入れる」方法は、感謝すること、自分はよくやっていると信じること、心の脆さをさらけ出し、自分を愛することだと言っています。人に対する感謝の気持ちは、とてもすごい力を持っていると思います。

 あまり関係ないかもしれませんし、ちょっと変な話になるのですが、まめたろうは、瞑想を終える時、瞑想モードから覚醒モードにつなげるために、お世話になっている人すべてに「いつもありがとう」と感謝の気持ちを持つようにしています。

 そうすると、目の前がふわぁーっと明るくなるのです。目はつむっているのに。だから、きっと感謝の気持ちを持つことはよくわからないけど脳に何かしらの変化を与えてるんだと思います。まめたろうは、感謝にはとてもいい効果があると思います。実際、人に対して感謝する気持ちが深くなります。深くなるって表現がいいと思います。この場合には。

 そして、瞑想をすると、理由はわかりませんが、自分をもっと大切に思えると思います。自己肯定感を高めることにつながると思います。多分、感謝する気持ち(根底にある愛情)は、いろいろな所で効果を発揮しているんでしょう。

 動画を見てみて、こんな風に考えていました。

 人には、不完全でどうしようもないところがたくさんあります。そして普通、そんな事実に気がつくと反射的に」だめだだめだ、自分はダメだー」って心が拒否反応を示してしまいます。でも、瞑想を通じて、そんな反射と同時にちょっと肯定的な自分を出現させることができれば、とてもいいことだと思います。

そんな気付き、心の隙間がまめたろうは好きです。

 

非難することについて

 ちょっと話題から外れます。

 このテッドトークの中で、博士がちょっとしたきっかけで言っていたのですが、非難とは、痛みや不快の解放をする手段なんだそうです。非難は対話とは違うとも言っていました。

 個人的に、これで連想したのは最近のテレビのトークショーみたいなやつですかね。なんか論破みたいなやつ多いなって思いました。あれってみていてスカッとするんですよね。自分も含めたみんなのたまったストレスがあれ見て解消されているんですかね。ただ、非難の定義によーく照らして考えてみると、健全ではないですよね。大切なものを決定するときに、こういったスカッとした気持ちにつられて決定しないように注意したいと思いました。色々な決断を気分に任せてしてしまう前に、ちょっとした心の隙間を持つことが大切です。と、自分に言い聞かせています。

 

最後に

 以上、いつもどおり、ごく個人的なメモに。相変わらず瞑想いいよねって内容でしたが、最期まで読んでいただきありがとうございました。感謝します!笑

 

 SEE YA ♪