瞑想とあそぼ。

楽しく人生を過ごすために、瞑想始めてみました。

イメージの力を借りようと思った話。

こんにちは!

 まめたろうです。寒いですよね。毎日。でも、外に出てお日様に当たることですごく元気になるので、頑張って早く外に出るようにしています。

 さて、今回は、イメージすることで何かが変わるかもしれないという日記です。

 

普段の瞑想にちょっと付け加えてみた

 普段の瞑想は別記事にありますので、もし興味がありましたらご覧ください。

meisoudebennkyousiyo.hatenadiary.jp

 

 さて、瞑想というのは、とてもいいものだなあと毎日感じております。

 気分が悪かったり、頭がごちゃごちゃしている時にやってみると、頭の中がすっきりします。

 そして、これまでぼんやりとしか気がついていなかったことの輪郭がはっきりしたりすることもあります。まめたろうも、そんな出来事がありました。

 ただ、まめたろうは、瞑想中に、雑念ばかり浮かんできてばかり。

 しかし、途中で考えたのです。

 「雑念こそが瞑想をよくしてくれている要素なんじゃないか?」と。

 

 だって、おかしいじゃないですか。常に頭の中に雑念が浮かんでくるって。

 なんで頭の中には雑念がいっぱいあるんだろうか、どうして雑念がない瞬間がほとんどないのかって。しかも、それが瞑想を邪魔してるなんて。(おかしなって前提で考え始めました。)

 

 まめたろうは、どちらかというと、雑念は自分の瞑想を惑わす、邪魔する存在として認識していました。

 雑念をニュートラルに捉える必要があるとは思います。ただ、雑念から避けることは難しいと思います。

 しかも、「雑念にとらわれない瞬間を求める」と考えていること自体、雑念=ネガティブな存在と捉えてしまっているのではないかと思いました。

 

 しかし、そんなことないんじゃないかと、瞑想しながらそんな風に思いました。

 

 雑念はある意味で、自分の味方なんじゃないかと。

 むしろ、自分を高めてくれる味方である雑念に感謝しないといけないんじゃないかと。

 

 

 そんな風にちょっと考えてみました。

 雑念が浮かぶのは当然です、と口にしても、やはり瞑想中に雑念になんどもなんどもとらわれてしまうと、徐々に雑念にとらわれることに対してネガティブなイメージが浮かんできてしまいます。

 しかし、そう捉えてしまうのはとてももったいないんじゃないかということです。だって自分を高めてくれる存在かもしれないんじゃないですか。

 雑念に捉われる瞬間自体も、自分の瞑想なんだ!ってもっと気がつかないとだめだなあと思いました。

 

もっと、イメージの力を借りてみよう!

 過去記事にも書きましたが、結局まめたろうは、雑念に対してなんらかの評価を加えて始めて、それが感情とか気分が生じてしまうのではないかと、現時点では考えています。

 つまり、なにかに心が反応しちゃうその瞬間に、心が生まれるというか。。

 

 雑念は、ある意味で自分を試していますね、あの手この手で。

 

 ん?、、、そもそも、雑念に反応してしまっている「自分」ってなんだろう。

 普段は、この「自分」って「心」とも表現してるんですけど。

 考えてみれば、なにかに反応して始めて感情とかそういった実体のあるものが生まれるのだとすると、その反応している瞬間にのみ存在しているのかな。

 なんにも反応していない時には、「自分」は存在しているのか??

 

 、、、とか言葉で考えていると混乱してくるのですよね。

 なので、この点はまた今度考えるとして。

 

 そこで! とりあえず、瞑想中、イメージ化してみました。

 これは、反応してしまう自分と外の世界である雑念というものの存在をよりもっと明確に感じてみたいなあと思ったからです。イメージとかビジュアル的なものってやっぱり強いですからね。

 

 自分の中心に、白く輝く柱のようなものをイメージしました。瞑想中、自分はこの柱と一体です

 そして、呼吸に集中します。

 雑念に捉われたとき、自分の柱に、外から何かがくっついているイメージをしました

 そしてそれに気がつき、呼吸に戻ります。

 イメージは、またその柱に戻します。その柱にくっついていた雑念はいつの間にか取れているって感じです。

 

きっかけはyoutube

 で、なんでこんなことをやってみたかというと、以前グーグルのランチタイムのワークショップの動画をyoutubeでみたのを思い出したからです。

 その動画では、とある瞑想のインストラクターが瞑想について語っていたのですが、動画の最後の方で、実際に参加者と一緒に瞑想をしていました。

 その瞑想は、おそらく色々な瞑想を実践してきた上で、彼女が独自に編み出したもののようでしたが、イメージをとても大切にしていました。

 例えば、呼吸をする時に、とても綺麗に光る空気が体内に入ってくるイメージ。吐く時には、体の汚れがおでこから出て行くイメージなどなど。

 

 瞑想をすれば、一瞬でわかると思いますが、人間は、雑念というバーチャルなものによって、実際の感情とか体調とかそういったリアリティーがめまぐるしく変化してしまう動物です。少なくとも私はそう考え始めています。

 なので、たかがイメージングですが、よく考えれば、これまでの人生もほとんどはイメージングによって振り回され続けてきたのですよね。

 だから、瞑想中に、「お、なんかイメージしてみよう」って思い立ったわけです。

 

どうだったか?

 まだ、一回しかやっていませんが、なんか、「ずしっと」した感じがします。自分の芯ができたというか。雑念に捉われる状態やそうでない状態が一つのイメージによって把握することができます。

 まめたろうは、これが良い方法とはいいません。

 でも、実際に、雑念に対するネガティブな感情をなくして、イメージングを実践したらどうなるのかなあと興味津々です。

 ちょっとした好奇心で、これを実践してみたいと思います。

 

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

SEE YA ♪