1つ1つゆっくりと片付けていくと、圧倒されなくなる
瞑想にも波がある
こんにちは、まめたろうです。ここ二日くらい瞑想らしい瞑想をせず、せっかく一年も続けているにも関わらず、勿体無いことしたなーなんて思いました。そして、今日早速朝の瞑想をしたら、頭の中がごちゃごちゃしていて、それはもう大変。
雑念に囚われたり、囚われたいと願ったり
近頃、ちょっと忙しいこともあって、あれもやらなきゃこれもやらなきゃでタスクの管理ができていませんでした。休日でも、仕事のことが頭にあったりで常に頭の中はそのことで占拠されていました。
そうなると、瞑想してても雑念がたくさん。
なんというか、普段から考えことが多い状態なので、瞑想中も同じように考え事を始めてしまう感じです。だから、雑念に囚われているというよりは、仕事中の脳の中のような感じが続いているよう。
もしかしてこのまま考えていればいいアイディアが浮かぶかもなどと思うと、雑念に囚われていることは気がついてはいながらも、そのまま雑念を継続したいなどと考えてしまいます。
で、結局雑念を継続してもそんないいアイディアは出てこないまま。
それで、気を取り直して、いつも通り、雑念が出てきたら、そこから離れてという作業を繰り返してました。
なんでこんなことを考えていたんだろうなどと思うような、懐かしい昔の出来事や、完全に創作な出来事まで、とっても色とりどりの妄想が出てきます。
1つ1つ、急がず、ゆっくりと雑念から離れる作業を続けること、数十分。少しずつ雑念が減ってきて、呼吸、マントラに集中する静かな時間が、少しずつ継続できるようになります。
1つ1つ丁寧に片付けていく
そういう静かな時間を経験すると、自分の頭がどれほど色々なタスクで溢れかえっていたのかがよくわかります。そして、色々なタスクを一緒くたにして、勝手に圧倒されていたのかにも。
やるべきことが多い時には、一つ一つ段階を踏んで片付けていけるように、細切れにするのが王道だと思います。
頭の中も同じようなもの。
仕事などの中でタスクを細切れにしても、案外頭の中は未だ多くのタスクをごちゃごちゃにして勝手に疲れ果ててしまっていることも多いのかもしれないなあと思いました。実際、最近はとても疲れていました。
そんな時、瞑想する中で、一つ一つの雑念からそっと離れるという作業を繰り返すことで、頭の中でもごちゃごちゃを片付けてくれるのかもしれません。
実際に、ちょっと長めの瞑想を終えると、頭がクリアになりました。
心持ちは変えられることを理解すること
心持ちが変えられることを理解するのはとても大切です。
仕事という外的なタスクだけでも、とんでもない量を同時に抱えてしまえば、頭の中は知らないうちに圧倒されて疲れ果ててしまうと思います。
特に繊細な心をお持ちの方は、その持ち前の素晴らしい感受性で、心をざわつかせるようなとんでもない量の情報量を収集してしまいます。相手がどう考えているかだったり、自分の言動を反省したりなど。
そんな時には、自分の心持ちは案外簡単に変わるという事実を認識する必要があると思います。
まめたろうにとってそれを実感したのは、瞑想を通じてでした。
1つ1つ頭の中を取り巻く雑念を処理していく過程を通じて、徐々に心持ちまで変わってくるという経験は、とても有益なものでした。
おすすめです。
まとめ
瞑想をサボってしまったのは残念でしたが、サボってしまったが故の「濃い雑念」を処理する経験を通じて, 自分なりに再発見ができたことはとても良かったなあと思いました!
最後まで読んでくれてどうもありがとうございます。
SEE YA ♪