瞑想のクオリティーってなんだ!?
瞑想を始めると、自分が上手くやっているのかって迷うことあると思います。
実際まめたろうはあまり気にせず実践しているのですが、日によって、瞑想の出来不出来みたいなものを感じることがあります。
こんにちは、まめたろうです。
日々の瞑想は、うまくいく日もうまくいかない日もある。
それはよく体の感覚、心地よさに現れます。
上手くいったなーっていうときは、やはり瞑想しているときに眠気に似た心地よさを感じたり、ふわーっとしている感じがあります。
それに対して、あまり上手くいっていないなあと感じるときは、そういった心地よさが感じられなかったり、ふわっとする感覚まで到達できないときが多いです。
あと、言えることといえば、雑念の関係でしょうか。
うまくいかないときは、色々な物事が頭の中に生じてきたとき、そのことを知らず知らずに考えこんでしまうことが多いです。
その雑念の内容はまちまちです。ネガティブなことも多いですが、そのネガティブなイメージを超えて、その物事それ自体にフォーカスして考えを巡らせてしまうこともあります。
、、、まあ、ある意味で、感情を排除して考えることができているので、瞑想は成功してるってポジティブに考えています。
でも、やっぱり、自分が心地がいいと思える状態に達していきたいと思います。
瞑想歴が10ヶ月を過ぎても、やはり上手く行くときと上手くいかないときがありますね!!
体調だって日によって違うのですから、瞑想のクオリティーだって日によってまちまちになるのは当たり前だと思って、気にせず取り組んでいきましょう。
瞑想の質ってなんだ?
それでは、瞑想の質とは何でしょうか。
瞑想入門「マインドフルネスに生きるための7つの秘訣」という本では次のような体感が瞑想中に生じると述べられていました。
- 手足や体の感覚が消えていく
- マントラがなくなる、かすかになる
- 呼吸が静かになる、深くなる
- 眠気を感じる、ウトウトする
- 体や筋肉が反応して動く
- 体がポカポカする
- 日中の集中力や活動が盛んになる
- 終わったあと頭がすっきりする
- 眠っていた感じがする
- 時間が早く感じる、遅く感じる
まめたろうが考える瞑想の質について
このうち、まめたろうは当てはまるものもありますし、当てはまらないものもあります。
例えば、手足や体の感覚が消えていく感覚というのは、まめたろうの言葉では、体がふわっと浮いているような感覚と同じものだと思います。
マントラのことや呼吸のことについても、ばっちり当てはまります。自分が深い瞑想に入ったなあと思うときは、間違いなく呼吸がとても穏やかになります。
たまに、はっとして、呼吸を意識しすぎて苦しく感じるときもありますが笑
時間の早さについても、深い瞑想に入っていたときは、とても時間の経過が早く感じます。
これに対して、あまり深い瞑想ではないなあと思うときは、体の感覚はあまり変化ありませんし、心地よさがありません。。あれがある意味で瞑想の醍醐味なのに。。
上の要素以外でまめたろうが感じる瞑想の質
やはり、意識の状態だと思います。
瞑想をしているとき、雑念の存在に気がつく速度や、雑念の存在に気がついてから、呼吸にフォーカスできるようになるまでの時間の早さは、瞑想の質に関わっているんじゃないかなあと思います。
一言で言えば、「今この瞬間にいる」と思える時間。これだと分かりづらいので、まめたろうなりの言葉を使えば「呼吸にフォーカスして心地よくいられる時間の長さ」です。
やはり、この時間が長ければ長いほど、体感できる変化は変わってきます。
その変化っていうのは、心地よさだったりするのですが、実は目の前に広がる景色の少し変わっていると思います。
他の記事でも書いていますが、目の前に移る世界は目まぐるしく変化しています。まめたろうの場合。
そして、やはり呼吸にフォーカスできている時間が長ければ長いほど、この景色の中に浮かび上がる光(暗闇よりも数トーン明るいもやみたいなもの)が濃くなります。
だから、勝手にこういった身体的な兆候をもとに、瞑想のクオリティーを考えたりしています。
こういう風に、本の知識も加味しつつ、自分の体感と照らし合わせて考えてみると面白いです。
いずれにせよ、やってみないとわからないことばかり
何が正しいのかを考える前に、まめたろうはやってみたほうがいいと思っています。
初めてすぐに瞑想で色々な効果があったと体感できる人もいるし、そうでない人もいます。
まめたろうは後者で、何がいいのかよくわかりませんでした。
でも、なんとなく頭がスッキリした感じがするという、プラシーボ効果だけで乗り切ってきました。
上で述べた心地よさとか、体の感覚、目の前の暗闇の世界のことなんて、意識すらできませんでしたし、これらもなんとなく気がついていったような感じです。
最初は、意識すらできないんです。多分。存在するのに、それに気がつくことができない。
まめたろうも、いずれ、もっといいやり方や「由緒正しいやりかた」に出会い魅了されるかもしれませんが、これまでの瞑想で得られたメリットはたくさんありますし、瞑想のみならず、瞑想を通じて、色々な事柄にも興味が出てきています。このブログもそうですし。
なので、正しさとか質とかにあまり固執せず、「体験」してみたほうがいいと思います。そしたら、自分の体と対話できて、体が勝手に教えてくれるかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
こういった記事も書いています。もしよければ寄っていってくださいなー!
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meisoudebennkyousiyo.hatenadiary.jp
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